自分の仕事は自分で創る


好きを仕事にできないか?ならば、いっそのこと
自分の仕事は自分で創る。
そういった目論みの日々のことです。

2012/08/23

時間と空間について。

時間と空間について考えていました、ここのところずっと。
3月にコンタクトインプロビゼーションのWSを受けたことも大きなきっかけでしたが
やはり、それ以前に、ずっと小さいころから【時間と空間】というものに興味がありました。

好きな授業ばかりの日は放課後がすぐだった覚えがある。

好きな仕事の時も時間がたつのが早かった
もちろん、好きとか嫌いとかに関係なく
猛烈なスピードで何かをこなせばならないときにも
驚くほどのスピードで1日が終わる。

昨日の私と、今日の私の何が違うのだろうか?
何も変わったわけではないように思えるけれど
たしかに、時間の感じ方は違うのだ、これは間違いなくそうなのだ。

紀元前4世紀にアリストテレスが考えた【時間】というものの定義は
―運動や変化がおきて初めて認識できるもの―
―運動や変化がなければ時間もない。―
というものである。

外界との接触による運動や変化であっても、また、そのような接触がなくても自己の内において
運動や変化があれば時間は認識できる。
しかしながら、認識できるだけであって、それはあまりにも個人的すぎる感覚だろう。

そうか、時間というものは、あまりにも個人的な感覚なのだ。

先に述べたように
楽しいと時間を忘れる
忙しいと時間はあっという間に過ぎ去る
嫌だと時間はものすごく長かったりというような感覚する時間は
時間というものと我々の感覚というものの大きな深い関係性を感じさせるものだ。

時間と言えばニュートンだろう。彼は著書の中で時間について以下のように述べている
「絶対的な、真の、数学的な時間は、それ自身で、そのものの本性から、外界のなにものとも関係なく、均一に流れ、別名を持続ともいいます」(ニュートン著『プリンキピア』より)
彼、ニュートンは、普遍的で一般的な時間というものの本性を述べているように思われる。

アリストテレスは我々人間が感覚する時間において時間を述べ
ニュートンは、我々人間が感覚しない時間において時間を述べている

人間感覚から時間が独立したみたい。

見方を変えると
アリストテレス論で考えると、私の時間は私が感覚しなくなれば終わる。のであって
ニュートン論で考えると、私の時間は私個人の生死にかかわらず、そこにあって、ずっと続く、わけです。

でも、アリストテレスはわかっていたのではないかと思うんですよ
だから、時間をそのもので語る必要がなかった
いいかえると、自分の欲求に素直に生きていた人の言葉で
ニュートンの時代になると、人はすこしひねくれ始めていて
真っ直ぐにしようと躍起になって考えていた。そんな気がします。
だから、真っ直ぐに持続する他の存在とは一切無縁の時間という存在を軸を求めたのではないかと感じてしまうのです。
死に対する恐怖もあったのでしょうし、宗教的な影響もあったのかもしれません、もちろん反発も含んで。

そうこうしながら、絶対時間論を批判したライプニッツが登場します。
彼は、時間と空間をもともと存在するものではなく、複数の事象や事物の間に生まれる相互関係に過ぎないとしました。

アリストテレスとニュートンの間を取り持ったような主張ですよね
こういうの、日本語で「間合いを取る」という感じかな
さらにアインシュタインの登場で時間と空間の概念はまたまた変わります

アインシュタインによる【相対性理論の基本概念】は・・・
時間や空間は絶対的なものではなく、観測者の立場によって変わる。

というものであります。
たとえば、列車の窓から石を落とすと、列車に乗っている人からは
真っ直ぐに落ちて行くように見える。
けれども地上で見ている人たちには、放物線を描きながらお知恵来るように見える。
このように、見る人(観測者)の立場によって時間は変わるのです。

これにより、彼アインシュタインは、ニュートンを批判したことになります。
彼は、時間は一定に刻まれるものではなく、伸びたり縮んだりするものだとしたのです。

それで、一番最初のお話に戻ります

好きな人と一緒にいるとあっという間に時間が進む
これ、時間が縮んだのすね、きっと。

ものすごい量の仕事であっという間に一日が終わった。
これ、時間が縮んだのですね、きっと。

なんだかつまらないセミナーを聴く羽目に、まだ15分しかたっていない。。
これ、時間が伸びたんですね、きっと。

ここで、もう一つ考えたいことがあります。

先の震災で、それだけではなくいろいろな事故や災害で
突然、誰かを失ったとします
その時から、もう20年、30年。。。どんなに時間がたっていたとしても
その関係性の時間は、そこで止まったままなのです
悲しみで終わった関係、悲しみのまま其処に存在し続ける
時間が止まるという言葉もありますように
我々の感覚のなかには、時間を止めてしまう場合もあるように思うのです。

しかしながら、人間は生きている限り外界と関わりを持ちます
関わりを持つことで動き出し変化する時間があるので
悲しみの底から這い上がれるのだと思うのです。

とにかく、時間と空間について書きたかったのですが時間だけで今回は終了。
次回は空間について考えたいと思います。

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